原田マハさんの『生きるぼくら』を読みました。
原田マハさんで読んだ小説は『本日は、お日柄もよく』『楽園のカンヴァス』『スイート・ホーム』に続く4作目。
そろそろ違う作家さんの小説も読まないと、、、
この『生きる僕ら』の表紙の絵は、中学校の美術の教科書の表紙にもなっているみたいです。
学生時代にひどいいじめにあった麻生人生(あそうじんせい)は、そのまま引きこもりになってしまう。母親と2人暮らしだったが、ある突然母親はアパートを出て行ってしまう。本当に一人になってしまった人生は、母親が残した年賀状を手掛かりに、小さい頃遊びに行っていたおばあちゃんの家に行く事に。様々な事実に直面しながらもおばあちゃんやおばあちゃんの家にいた1人の少女、近所「めし」屋の志乃さん他仲間たちと米作りを行いながら人生の成長を追う物語。
原田マハさんの小説は、原田さん自身がキュレーターの経験もあるだけに、本当に描写が鮮やかで、挿絵は一切ないのに物語の情景が鮮明に浮かんできます。
また、季節に応じた描写や米作りと並行して書かれた主人公の心の変化も読んでいてとてもワクワクします。
その傍らで描かれる恋物語にも心が惹かれてしまいますよね。
この小説では、人というのはとても温かい生き物なんだなという事を考えさせられました。
作品の中でおにぎりの話が出てくるのですが、コンビニのおにぎりと誰かの手作りのおにぎりって同じおにぎりでも全然味が違いますよね。
機械が握っているコンビニのお握りとは違い、人が握ったおにぎりは握った人によって大きさや形が全然違うかったり、家庭によって具が違ったりと特色の出る料理の1つだと思います。
誰が握ってくれたおにぎりだという事が分かるというのはとても温かく、その温かさの分までおいしく感じるものなんですね。
また、一人で食べるおにぎりよりも、みんなで仕事で疲れた後に一緒に食べるおにぎりの方が数倍おいしく感じますよね。
もう一つ、人は一人では生きていけないんだなということを感じました。
米作りはもちろん、多くのことは誰かに支えられることによって成り立っています。
仕事をするのだって、学校に行くのだって、生きていくのだって一人で生きている人なんてほとんどいません。
人間誰にだって得意不得意はあるし、性格だって一人ひとり違います。
ただ、自分の不得意なことは誰かにやってもらえばいいし、誰かの苦手な事は自分が補ってあげればいい。
そのために、人間の多くは誰かと支え合って仕事をし、支え合って生きていっているのだと思います。
その上で、相手に「ありがとう」と声に出して言う事。
それが生きていくうえで一番大事な事といっても過言ではないんだなとこの小説を読んで感じることができました。
だからこそタイトルが、生きるぼく"ら"と複数形になっていたんですね。
そもそも僕は、一人で生きていくのが苦手です。
高校生の時から親元離れて寮生活をしていた事もありましたが、ご飯を食べるときは一緒に食べる誰かがいて、学校に行くときも、野球をするときも、遊びに行くときもいつも誰かと一緒でした。
振り返ると、僕の人生がこうして充実しているのもいつも誰かが一緒にいてくれるからなんだなと思います。
そして今も、一緒にいてくれる人がいる。
そんな一緒にいてくれる人に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えながら、これからも生きていきたいなと思います。
溜まっていた小説を一気に読み終えたのでブックオフに行ってまた小説を5冊借りました。
5分の3は重松清さんの小説。タイトルになんか惹かれたんよなぁ、、、。
楽しみがまた増えました。