箕輪厚介さんの『伝える力』を読みました。
箕輪さんは常に自分の信じた道を走り続け、その道を走ることに熱狂しています。しかし、その走ってきた道を振り返って満足する事はせず、常に変化し続けています。
満足してしまった時点で成長が止まってしまうといった事は、ジム・コリンズさんのビジョナリー・カンパニーにも書かれていました。
この、「満足してしまったら成長が止まってしまう」ってどこに書いとったんやろうとブログをさかのぼって調べたのですが、ビジョナリー・カンパニーについて書かれた記事を投稿したのは343日前と書かれていました。あれからそんなに経ったんやなぁ、、、
そんな話は置いておいて。
この本で一番印象的だったのは、「努力は夢中に勝てない」という言葉です。
僕は幼少のころから野球を続けてきました。高校野球や大学野球では「練習の虫」とよく言われるほど誰よりも努力していたという自負があります。
ただ、この「努力は夢中に勝てない」という言葉を見たとき、果たしてあれは努力だったのか?と考えました。
努力とか、頑張るとかって、どこか無理してるニュアンスがありません?
そろそろ眠たくなってきた。でももうちょっと勉強頑張ろう。
そろそろ疲れてきた。でももうちょっと頑張って練習しよう。
確かに結果を出すにはこの「頑張る」という事は有効なのかもしれませんが、どこか自分に無理をさせてしまっている感じがします。
僕は高校、大学時代と無理をしていたのでしょうか?振り返ると、別に無理していたわけではありません。だって、練習することは楽しかったから。
周りからは「頑張ってんな~」とか、時には「狂ったように練習してるな」とか言われたこともあります。でも、狂ったように何かに夢中に慣れることって、周りからどう見えようと無理してる感覚はありません。
だから、いくらでも練習し続けられるんです。
何かに夢中になる理由としては、楽しいとか、ワクワクするとかそういった理由が一番だと思います。
勉強、練習、仕事、何にしても「楽しい」とか、「ワクワクする」といった仕組みを作ることであったり、自分にとって楽しい何かを見つけたりと、その活動に対して夢中になる方法を見つけることでその活動に対して熱狂できるのではないでしょうか?
そもそも、好きなことをやっているという方は、そんな事をする必要はありませんよね。
逆に、どう頑張っても夢中になれない事をやっている人は、思い切ってやめてしまうとおいう事も一つの方法だと思います。それも1つの勇気です。
そういった意味でも、一見「異端」とか「破天荒」に見える箕輪さんの活動の仕方は、本人にとってはやりたいことに熱狂しているだけで、何も無理はしていないのだと思います。だから、「おかしい」と言われようが突き進むことができ、その上で結果を残すことができるのだと思います。
時には敵を増やしてしまいかねない危ない方法も箕輪さんもされていて、そこにつきましては僕は参考程度にすることにしますが、「努力は夢中に勝てない」という事を心に刻みまして、さらに自分の活動に熱狂していきたいと思います。