負の注目ですら心地よいと感じてしまっているのではないだろうか

我が学校には超かまってちゃんな生徒がいます。とにかく誰かの気を引きたい。注目を集めたいと思われるような発言が目立ちます。

 

「家に幽霊がいる。」

「朝ご飯、夜ご飯をほとんど食べていない。」

「給食をおかわりしまくったけどまだおなか一杯の〇割しか食べていない。」

 

などなど・・・

 

なんで中学生っていっぱい食べたり、早く食べることでヒーローになれるんやろ。俺もそうやったけど。まぁそれはいいか。

 

特に、先生に向かってすることが多いかなぁと思いますが、教室で座っているときも常にきょろきょろしています。

 

『学び合い』の考え方的には、その子を見てその子を変えようとすることはセオリーから外れていると思うのですが、職員室ではその子の話題が頻繁に出てきますし、僕としてもやはり気になります。

 

何が気になるって、何か良くない事をして先生に怒られたとしても、その様子がどうしても「先生の注目を独り占めできて嬉しい」といったように見えてしまう事です。ってか、本人も心の奥ではそうやって思ってるんじゃないかなぁ。

 

机から脚を出して行儀が悪い感じで座っている場面があったのですが、その場面で先生が「その座り方ってよくないんじゃない?」というと「何がですか?」って言うんです。絶対分かってるのに。そんな反抗的な態度をとる事で、先生は「後で廊下に来なさい」と説教。でも、もしかしたら「自分は先生の注目を独り占めして、特別扱いされている」というのが目的なのかもしれない。

 

ただ、その子がそういったことをするのって、集団の誰ともつながれなかったときの不安からなんじゃないかなぁと思うんですよね。健全な他人とのつながりや、集団での自己存在感を感じることができていないのではないだろうか。

 

だから、ちょっと悪いことをしてでも誰かの注目を浴び、特別になる事で自分の不安を紛らわしている。ただ、その方法じゃ絶対に集団で健全なつながりを獲得することはできない。

 

悪いことをする→先生が注意をする→「あいつ、また怒られてるよ」

 

確かに彼は職員室でも集団の中でも注目の存在にはなっていますが、それは負の注目出あって健全ではないなぁと思います。

 

彼の、健全な人とのつながりを構築するためにはどのようなサポートができるんやろうか。

 

 

というのも、こうやって考えるようになったのも、最近読み直した上教大の赤坂先生の書籍『先生のためのアドラー心理学: 勇気づけの学級づくり 』(https://www.amazon.co.jp/dp/4938874717/ref=cm_sw_r_tw_dp_EYWT8PCQ0Z4Y87HS6XAW)が間違いなく影響しています。

 

書籍で得た知識を実践して自分のものにする、理論と実践の往還が必要である事は大学院で学びました。これは僕の成長のチャンスでもあると思うので、これからもその子やその子を含む集団と向き合って、取り組んでいきたいです。