礼儀は「やるものだから」ではなく、「やった方が得」

人が何か行動を起こすには、何かしら「腑に落ちる」という作業が必要だと思っています。

 

年上には敬語を使う、朝ご飯はちゃんと食べる、ボランティアに行く、募金をする、学校に行く、毎日ブログを更新するなどなど。

 

「それはやるものだ」とか「言われたからやる」というパターンも多いと思いますが、それではよくありませんよね。行動にはすべて意味があると思っています。

 

例えば敬語について。

敬語は「敬う言葉(語)」と書くように、使っているだけでとりあえずは相手を敬っている事になる魔法の言葉だと思っています。逆に言えば、使わないと相手は自分の事を下に見ている、またはなめていると感じてしまいます。

 

「年上には敬語を使うもの」と教えたりしますが、なんで敬語をつかうのか、の"なんで"の部分を欠落させてしまう教えてしまう事によって、子どもの「腑に落ちる」作業を飛ばしてしまっているのだと思います。

 

 

そして、この「なんで」の部分を子どもが納得するかどうかは別として、だいたいの事の「なんで」の部分は自分が"得"するような理由になっていると思います。特に礼儀という事に関しては。

 

敬語はさっき言った通りですし、挨拶という事に関しても、コミュニケーションの第一歩だと思います。

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学校の中で一人、座り方があまりよくなかったり、ご飯の食べ方があまりよくない子がいます。先生がその子に「ちゃんとすわりなよ?」とチクっと注意すると、逆にその子は「普通じゃないですか~?」なんてプチ犯行をするわけですね。

 

きっとその子にとっては、先生が注意した事が逆に「先生の注目を独り占めできた」という認識になっているのでしょう。というのは、アドラーの目的論に引っ張られすぎですか?

 

まぁその話は置いておいて、、、

 

今日、その子に「ちゃんと座った方が周りからかっこよく見られるし、逆に座り方悪いと、行儀の悪い子って思われる可能性あるし、ちゃんと座った方が得じゃない?」という話をすると「なるほどね!」と姿勢を直してくれました。

 

 

私もやってしまいがちですが、「これはやるものだから」という事で教育するんじゃなくて、「○○だからこれはやった方が得なんだよ」というような教育の仕方ができればなと思います。