明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

ナビの案内機能をを使って車を運転すると、道を覚えにくい

僕、結構道を覚えるのが得意なんです。あんまり土地勘が無い所でも、ちょっと歩いただけで方向感覚を手に入れることができます。

 

それは多分、地図を使わずに知らないところを冒険するのが好きだからだからできるようになったんだと思います。もちろん、そんな事すれば道を間違える事だってある。でも、間違えたら間違えたで面白い。

 

別に道を間違えたからって目的地にたどり着けなくなるわけでもないし、ちょっと遠回りになるだけだからあまり支障はない。そんなことを繰り返しながら道を覚えていきます。

 

それって道を覚える事だけに当てはまる事ではないと思うんです。

 

料理だって、デリッシュキッチンとかクラシルとかの動画を見ながらしてたら、それなしでは料理ができなくなります。自分で作ってはいるものの、何かに頼りきり。いわば自立できていない状態とでも言えばいいのでしょうか?

 

教育だってそうではないでしょうか?確かに、子どもがあるべき姿とか、最低限ここまではできてほしいとかそういう事はあると思います。しかし、教員が手を出してナビや料理動画アプリのような誘導をしてしまうと、子どもは教員に頼りきりになってしまいます。つまり、自立の妨げになってしまいます。

 

子どもは学校の中で一生を過ごすわけではなく、学校を出てからが本当に大事なところです。そしてそこには教員はいません。だから、子どもは学生のうちに教員に頼らなくても生きていける状態になっている必要があるわけです。

 

教員という誘導が無ければもちろん行き止まりにぶつかることもあるかもしれませんし、道に迷う事もたくさんあると思います。結果遠回りになって、時間がかかる事だってあると思います。

 

でも、そうやって自分の力で進むことが自立という本当のゴールに向かう唯一の方法なのではないでしょうか?