明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

投票するということの意味を子どもたちに伝えないといけない

2月2日の小池知事の記者会見がニュースで取り上げられていました。特に取り上げられていたのは、会見時に度々発言された「ナシ」という言葉について。

 

学生に向けてもこんなことを仰られていました。

 

 学生の皆さんは、卒業の季節であります。そして例年なら追い出しコンパ、謝恩会、色々な行事、目白押しになる、そういう時期でありますけれども、改めて何度でも申し上げますけれども、集団での会食は、ウイルスを拡散するまたとないチャンスだということで、狙っています。今年はぜひナシ。そして、あのときは謝恩会もなかったね、みんなと楽しい会、卒業をみんなで祝う会もできなかったねということ、あのときはコロナウイルスだったんだね、感染症の拡大の時期だったんだよね、あとでそういったことが語れるようにご友人との旅行、卒業旅行もナシでお願いを申し上げます。

 

この発言について、尾木ママこと尾木直樹さんは

「授業がオンラインになったり学生もいろいろと制限されながらやっている。心が疲弊しているなかあれだけ「ナシ」を強調するのは・・・。日本の学生はおとなしい方。頑張っている。」

といったような発言されていました。

 

また、他のジャーナリストの方は

「政治家はどうしても次の選挙で自分や党を当選させることも目的に活動してしまう。そうなったときにはやはりボリュームゾーンである高齢者に向けた発言や政策が多くなってしまう」

といった発言をされていました。

 

 

政治家が選挙で決まる以上、「次の選挙に向けてこうしなければ・・・」となるのは仕方のないことです。だって政治家の方々だって生活が懸かってるんですから。そう考えたときに、政治家の方々の発言が高齢者寄りになるのは仕方のないことです。だって若者は投票しないのですから。

 

政治家の批判とかが多くの報道やSNSで流れていますが、その政治家を選んでいるのは私たちで、投票をしない若者はその権利を放棄しているので批判する権利をも放棄していると考えるのが正しいです。

 

じゃーなんで投票に行かないのか。政治に無関心なのか、投票に対しての効力感を感じていないのか、また地元から離れている若者が投票することが難しいシステムになっているのか。意外と3つ目のシステムについては多い気がするな。

 

 

何事も意味を感じていないと行動する気にはなれない。この投票についても一緒だと思います。僕だって最近まで投票についてここまで意味がある事なんだって気付けていませんでした。

 

選挙に行かないという事は、国がどうなってもいいと思っていることと同意であり、文句を言う権利はない。

 

投票するということはこういう意味があるんだよって言うことは教員になったら子どもたちに伝えたいです。

 

 

でも、なんで高齢者になればなるほど投票率は上がっていくんやろうか。段々と必要性を感じるようになっていくってこと?この年になって投票もいかないなんて・・・という心理?