連携校の空いている時間で、ゼミ生と『学び合い』について話をしました。
『学び合い』って、目標だけを投げかけて後は生徒に自由にやってもらうってのが一般的なテンプレートなんですが、その”自由”ってところについてです。
先日、その人の『学び合い』の授業を見に行きました。
鑑賞文を書く練習として課題プリントを渡して、それを3時間で全部やってねといった感じの授業でした。
そのプリントの内容の一つとして、「自分の好きな歌詞を書いて、その歌詞について鑑賞文を書いてみよう」といったものがありました。
でも、なかなかみんな進まない。
「好きな歌はあるけど、、、」と言いながら全然書き出さない。
書くのが恥ずかしいとかそういった要因もあると思いますが、いきなり「自由にしていいよ。はい、どうぞ」と言われても正直動くのが難しい生徒の気持ちも分かります。
何もないところから何かを始める事ってめちゃくちゃ難しいことだと思います。
しかも、スマホとかで調べることもできひんのに。
真っ白のキャンバスに「○○をテーマに絵を書いてね。はい、どうぞ」と言われても、何からやればいいか分かりませんよね?
逆に、僕ら『学び合い』をしている教員は、”自由”という言葉に、生徒に甘えているのかもしれません。
そうじゃなくて、例えば「○○をテーマに絵を書いてね。」に加えて「条件として、○○は絶対に使ってください。」とか「○○から書き始めてね」とか、条件を付けくわえることによって動きやすくなる生徒はぐっと増える可能性があると思います。
「それって自由じゃないじゃん」って言われるかもしれませんが、その自由もはき違えるとその自由な空間の中で生徒をさまよわせてしまう事にもなりかねません。
ここが、現場の先生が『学び合い』に入りにくい一つの要因なんだと思います。
だから生まれたのが、「目標と学習と評価の一体化」(通称は目標、学習、評価の頭文字をとって”もがひ”と呼ばれています)じゃないかなと思います。
もがひについて知りたい方は、下記の本をお読みください。
「もがひって、本当に『学び合い』なのか?」
非常に未熟だった読んだ当初の私はそう思ってしまっていましたが、自由という言葉に甘えて生徒に投げてしまうのではなく、ある程度の例示や道を示してあげることは、『学び合い』をする上ではありなんではないのかなと思いました。
そのように考えていたら、ゼミ生のこのような記事をみつけました。
彼女も『学び合い』を実践していて、基本的に『学び合い』の考えが染みついているのですが、このような活動にしても、「誰に向けて文章を書くのか」といった目標をしてしてあげたり、ある程度道しるべを示してあげるようなプリントを作成したりといった彼女の生徒への気遣いが、この授業を成功させる要因になっていたのではないかなと思いました。
最近、よく言っていることですが、『学び合い』は手法ではなく考え方です。
生徒と向き合いながら、状況に応じた方法で授業をすることって大事なんだなと感じました。