明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

頑張るって本当にいいことなの?

最近、"頑張る”って言葉に違和感を感じています。

頑張るとはgoo辞書で調べると

1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」

2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。「―・って自説を譲らない」

3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」


と書かれていました。



頑張るって我慢することなのか?

我を張ることなのか?




自分は5歳から大学まで野球を続けてきました。

高校・大学は全国を狙える(なんなら常連ぐらいの)チームに所属し、自分の実力のなさを痛感した自分は人より練習をしてきました。

大学ではその努力が認められて、最後の大会ではベンチに入ることが出来ました。

でも、その過程で"我慢する”ということはあまりなかったように思います。

確かに朝早くに起きて練習したり人より長く練習場に残ったりはしていましたが、我慢しているという感覚はほとんどなく、なんなら練習することが"楽しかった”と振り返ることもできます。

本当に大切なことは、"頑張る”ことよりも"楽しむ”ことではないでしょうか?



よくよく考えてみると、頑張るという表現はどこか無理をしているというニュアンスがありませんか?

先日の記事でも、このようなお話をしました。

nbnl-takashi.hatenablog.com

自分がなぜ本を読むようになったかという例を挙げて

強制的にやらされる

必要だからやる

やるのが得だからやる

楽しいからやる


といった順序になるのではないかという過程を紹介しました。

今回の記事のメインである"頑張る”はこの過程の中でも下位に位置づけられるのではないでしょうか?

"頑張る”と表現されてる活動って「これ何の意味があるんやろ、、、」とか「つらいけど、、、」とかどこかネガティブな感覚が混ざっているような気がします。

最初のきっかけで頑張ることは大切かもしれませんが、頑張る状態から活動の意味を見出せる状態であったり、楽しさを感じる状態にならなければその活動ってあんまりいい活動の仕方だとは思わないんです。



日本人はよく「頑張れ!」といいますが、英語では「Take it easy」と表現することがありますよね。

「気楽にね」と言う感じで、僕は英語のニュアンスの方が好きです。

まぁ、それでも一般的に応援するときは「頑張れ!」と言うので、人を応援するときは「頑張れ!」といいますが。

ちなみに西川研究室では「頑張ります」は禁句です。

西川先生に「頑張ります」なんていうと「頑張らなくていいよ、結果さえ出せばね」と言われてしまいます。


ぜひ皆さんも今"○○を頑張っている”というものを、"○○が楽しい”に置き換えてみて、自分の活動は無理をしていないか?どうすれば楽しくなるのか?を考えてみてはいかがでしょうか?