「部活動を社会体育に移行することに賛成ですか?反対ですか?」という質問をたくさんの方にして回っています。
もちろん、賛成の方も反対の方もいらっしゃいます。
今回は反対の方に焦点を当ててお話をします。
実際、インタビューをしていると反対意見の方は少ないのですが、その理由として必ず上がってくるのは
・生徒との信頼関係やつながりが希薄になってしまう
・部活動は人間教育である
の2つです。
確かに、僕も生徒との人間関係は大切だと思っています。
でも、そのつながりってどこか生徒を"管理”しようとしているように感じます。
インタビューした方で、違っているって方がいましたら謝ります。
すみません、、、。
でも、なぜ教師が生徒を信頼しないといけないかという理由が、生徒に教師のいう事を聞かせるというという理由ではいけない気がするんです。
それって、全然「自律的な学習者」を育てることになっていませんよね?
むしろ、従順な生徒(指示待ち人間)を育てていることになります。
それは工業化社会の人間であり、そういった人はこの先の社会では生き残ることはできません。
教師が生徒を信頼するのは、「この生徒ならある程度任せても、やってくれるはず、、、!」という事、つまり生徒に自由を与えるために信頼する必要があると思うんです。
そしてそれは、部活動ではなく教育課程内でやるべきことのはずです。
新しい学習指導要領では「生きる力」を育てることが求められ、教育基本法第1条に書いてある目標も「人格の完成」です。
人格の完成に関してはたくさんの解釈があると思いますが、僕は「大人になること」が人格の完成だと思います。
大人になるとは、多様なの人と関わることができ、社会で生き抜く力を身に付けることだと僕は思います。
西川先生も良くおっしゃっている「折り合い」がつけられることもここに含まれます。
この力は"管理”する教育では身に付きません。
生徒を自由にすることによって、沢山の仲間と関わり、ぶつかり、衝突し、、、それを解決していく中で身に付けることができるスキルだと思います。
管理であれば、確かにたくさんの生徒を卒業や進学、就職に導くことはできるかもしれませんが、その後のことは保証されません。
社会で生き残るすべを身に付けていない上に、今まで指示してくれていた人は社会に出てから誰もいなのですから。
以上の理由で、生徒とのつながりのためや、人間形成のためのツールとして部活動をすることは、むしろ逆効果だと思います。
むしろ、学校よりも社会に近い、そして社会で生きている人に指導をしてもらえる学校外のクラブの方が、「生きる力」を身に付けることができるかもしれません。
そもそも、まずは生徒を"管理する”という教育から抜け出す必要があるのかもしれませんね。