明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

休むのにも勇気が必要

西川研究室では、自分の思ったことを言語化する、自分を世の中に発信するなどの理由でブログを書いたりFacebookを毎日更新したりする人が多いです。

 

その中の一つで、よく読んでいるブログがあります。

 

先輩のブログなんですが、その方のありのままを言葉にしてはって、文字からでもその方が今どんな感情なのかが分かるぐらい等身大の言葉で毎日ブログを書かれています。

 

その方のブログをみて気付いたことがあります。

 

haruparuna.hatenablog.com

 

 

このブログを見て、「あ、休むのにも勇気がいるんだ」と思いました。

 

 

 

思えば、最近時間ができたら「ブログを書こう」「本を読もう」「研究を進めよう」「次のゼミってこれでいいんやっけ、、、」と考え、気付けばパソコンの前にいるか本を開いているかです。

 

寝すぎた朝は「うわぁ、もうちょいはよ起きたらなんかできた」

 

だらだらした夕方は「この時間で風呂入ったら夜時間できたのに、、、」

 

最近は、「ご飯作るの時間かかるしなんなら晩御飯買った方が早いしやすいから買おう」とか「バイトの休憩時間はおにぎりで済まして空いた時間で本を読もう」とかもうそんな風に考えてしまっています。

 

 

 

まぁ効率よく生きるのはいい事やし、なにかを学ぶことって楽しいし有意義やからいいんやけど、なんか毎日がつめつめな上に殺風景になってしまってるなぁ、、、

 

 

 

神戸市の教育で目指す子どもの人間像として「心豊かにたくましく生きる人間」とあるんですが、果たしてこの生活ではむしろ自分も心が豊かにならないのでは、、、

 

 

そもそも心が豊かってなんや?

 

 

 

まぁそこは置いといて、、、

 

 

 

先日、"人間には余白が必要”という記事も書きましたが、この心の余白は心を豊かにするものではないでしょうか?

 

nbnl-takashi.hatenablog.com

 

 

まぁ、シンプルにスケジュールを見返すとバイトが周5、6入ってるのが1つの要因として考えられるんですが、それでも友達と飲みに行ったり、ゆっくり過ごす1日が明らかに少なすぎる気がします。

 

 

コロナウイルスの感染にはもちろん細心の注意を払わないといけませんが、日々の余白にも必ず意味がありますので、たまには思い切って休むことも必要だなって先輩のブログを見て気付くことが出来ました。