失敗させない、怪我させないことは本当にこどものためなのか?

「お酒作って!」

そう言ってグラスを渡すと、氷と焼酎だけ入れて返ってきたという話を最近聞きました。

でも、それが起こったのって仲間同士の飲み会の時なんですよね。

だから、ちょっと恥ずかしいってだけで、むしろその子は今後お酒のつくり方を二度と間違えないようになるでしょう。



また、他の友人が目上の人に、ちょっとおしゃれなところに食事に連れて行ってもらった時の話で、目上の方にワインを継いでもらうという一コマ。

その友人はワイングラスをもって注いでもらおうとした時「グラスを置け!」と言われたそうです。

話を聞いたとき、私は???という感じでしたが、ワインは机の上に置いて自分の手をグラスの底に添えた状態で注いでもらうのがマナーだそうです。

瓶ビールを注いでもらう事になれている自分たちは、どうしてもお酒を注いでもらう時に知らなければグラスを持ってしまいます。

でも、その友人もそこで学んだため、同じ失敗は二度としないでしょう。




2つの友人が失敗した話をしましたが、ここでポイントとなるのは”失敗したことはあまりダメージになっていない”ということと、”失敗から何かを学んでいる”という事です。

確かに彼らはその時は失敗してしまったかもしれませんが、その失敗によって何かを覚えることができました。

もし、それが失敗できない場面(重要な懇親会でこれからお世話になる取引相手の前とか)だったら、その失敗は取り返しのつかないことになっていたかもしれません。

しかし、彼らがその失敗を起こしたのはローカルな飲み会です。

むしろ、その失敗以上に学んだことの方が大きいのではないでしょうか?




これって、教育の場面になっても一緒なのではないでしょうか?

学校で多くの子どもが過ごしていれば、当然子どもは失敗するし、過ちを犯してしまう事も多々あるでしょう。

しかし、学校現場の中でする失敗は許されるものが多いです。

体育の授業で少しけがをしてしまった、友達とけんかをして傷つけてしまった、そんな場面も多くあると思います。

そんな時に大切なのは、失敗した後どうするか、次に同じような場面に遭遇したらどうするのかです。

その失敗によって、子どもたちは多くの事を学ぶことが出来れば、失敗してしまったことよりもより多くの物を得られるのではないでしょうか?

入山章栄さん著の『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』のなかで紹介されている論文では、「失敗体験はその後の活動の成功の確率を高める」ことが明らかになっています。(気になる方この本の10章を読んでみて下さい。)

また人間は成功を積み重ねると、サーチ行動をしなくなる、つまりその成功によって満足してしまって探究をやめてしまうそうです。

このことからも、失敗をすることは非常に有効であることが分かると思います。



ここでポイントとなるのは、こどもを安全に失敗させることだと思います。

学校現場の中でする失敗は許されるものが多いとはいいましたが、かといって何の対策も講じていなければ取り返しのつかないような失敗をしてしまう可能性がでてきてしまいます。

いじめが起こってしまえば被害者である子どもは取り返しのつかない怪我を負ってしまいますし、体育でのけがが重体になるようなものであれば後遺症が残ってしまうかもしれません。

そうなってしまえばシャレにならないので、学校の中では安全に失敗させる必要があります。

そのために重要な役割を果たしているのが教師だと思います。



子どもが失敗しないようにしないように先生が仕組むことは果たして本当に子どものためになるのでしょうか?

学校を出ると安全管理をしてくれる先生的な存在の人は急にいなくなります。

学校の中にいる感覚のまま社会に出てしまえば、取り返しのない失敗をする可能性もでてきてしまうのではないでしょうか?

そうやって教師が過保護になるのではなくて、子ども自身が学校の中で訪れる課題に対して自らの力で解決することで、今学校でよく言われる「生きる力」が身に付くのではないでしょうか?



安心・安全な学校づくりが叫ばれていますが、それと過保護なのはまた違うと思います。

こどもが社会にでて生き残れる、そして活躍できるような力を身に付けさせるために、先生が手を出したくなるのをちょっと我慢して、こども自身に困難を解決させるような教育が大切だなと思いました。