明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

人間には余白が必要

自分は時間をものすごく大事にする方だと思っています。

 

時間がかかるぐらいならお金を使う派です。

 

コンビニのATMに手数料を取られるとしても、遠いATMまで行くぐらいなら手数料を払ってコンビニでお金をおろします。

 

人を待たすのは嫌いですし、人に待たされることもあまり好きではありません。

 

辛抱弱いんですね、、、

 

また、自分は前日に次の日のスケジュールをきっちりきめて行動するタイプの人間です。

 

「明日は8時半に起きて、9時半には学校にいって勉強する。お昼ご飯は12時前に食べに行って、14時40分からテスト。それが終わったらゼミ室に戻って勉強して、飲み会の送迎をしてくれと言われたけどその前に夕飯を済まして人を送る。その足でそのままジムに行って、終わったらゼミ室に行って勉強をして0時ぐらいに部屋に戻る。戻ったらちょうど洗濯物が終わってるやろうからそれを干して、1時までには寝よう。」

 

と決めて前日の夜寝ます。

 

そして次の日、寝過ごしたときの時間を無駄にした罪悪感といったらもう、、、

 

といっても、別に寝過ごしたからといってこれといって何もなく、ちょっと勉強する時間が削られるぐらいです。

 

でも、やっぱり時間を無駄にした感を自分はものすごく感じてしまいます。

 

前日寝る前に決めた1日の予定が狂うといやーな感じがします。

 

 

 

でも、最近は朝寝過ごしたとしても、昼ご飯をゆっくり食べたとしてもその無駄な時間が幸せに感じるようになりました。

 

その理由として、上の「ゼミ室に行って勉強する」の時間を(仮)の予定として自分の中で組んでいるだけで、その時間は自分にとって余白の時間として扱っているからです。

 

ゼミ室で勉強をすることがベターだとは思っているから、余白の時間を自分の中で「ゼミ室で勉強する時間」と仮に立てています。

 

寝過ごした時間を無駄な時間と表現しましたが、無駄な時間って無駄ではないと思うんです。

 

自分を充電する時間っていうんですかね?この時間があるからこそ自分の心に余裕を持つことができると思いますし、いっぱいいっぱいになりながら活動をしていてもいい学びはできませんし、いいものも造れないと思います。

 

前までは「極限まで無駄を切り落とすことは自分にとって得」だと思っていたのですが、その考え方も徐々に変わってきました。

 

でも、やっぱり無駄はなくさないにしても、少ない方がいいとは思います。

 

効率と無駄のバランスをうまくとって、無限ではない時間を有効に使えたらと思います。