ゼミ生によるゼミ生へ向けての歴史の講義

夜中、ゼミ室では社会が専門のゼミ生と歴史が苦手なゼミ生が勉強をしていました。

 

どうやって勉強しているかと言うと、社会が苦手なゼミ生は、社会が専門のゼミ生に質問をしながら歴史を学ぶというスタイルをとっているようです。

 

その歴史が苦手なゼミ生は、歴史が苦手だからこその視点を持って質問をしたり、社会が専門のゼミ生の"講義”を聞いていました。

 

聞くという表現はなんか適してないなぁ、、、

 

まさにあれが"学ぶ”って姿なんやろうなぁ、、、。

 

また、それを遠くから聞いている他のゼミ生が、「面白そう」と思って勉強の休憩を兼ねて聞きに行きます。

 

自分はそこには参加せずに、本を読みながら耳だけ傾けていたのですが、やっぱり面白い。

 

自分も社会(特に歴史)は壊滅的に苦手なのですが、そんな自分でも彼の講義は面白く聞こえました。

 

これって、その講義が押し付けではなく、相手のニーズに合わせて合わせて話をしているからなんだと思います。

 

最近たびたび「相手の視点になって」という記事を書いていますが、この姿がまさにこれで、相手が求めていることを考えながら話をしているという事なんだと思います。

 

 

 

面白い授業って、確かに自分にとっては面白いかもしれませんが、ある生徒にとっては「そんなこと知ってるわ」って思う子もいれば「そんなん興味ないわ」って思う子もいるはずです。

 

個別最適化が叫ばれている中で、そういった現状があることは良くありませんし、それって『学び合い』的に言うと、大勢の生徒を見捨ててることにもなりかねません。

 

しかし、彼らのような方法は、歴史が苦手な人にとっては分かりやすく教えてもらえるし、教えている側も違った視点で歴史を見つめることができる。win-winの関係が結べていますよね。

 

何より、歴史な苦手なゼミ生は自分から「教えて」と言っている、つまり自分がこの人に教えてもらいたいと思う人を選択できているという事になります。

 

これには2つ利点があると考えていて

 

1つは自分と仲がいい友人から教えてもらうことによって苦手な歴史でも「楽しい」と思うことができるということ。

 

もうひとつは、今、誰に聞くのが一番自分の問題が解決できるかという事が分かっていないとできないということ、つまり、これも最近の記事でも書きましたが「トランザクティブ・メモリー」を構築することにつながるという事です。

 

 

 

ゼミ室での日常の一コマですが、あんなにみんなが楽しくて、みんなが得するような講義はないんではないかなと思いました。