「俺、これできるようになってん」
「いやいや、そんなん俺もできるし」
こんな会話って結構聞こえてきますよね。
「へぇー、すごいやん!次、こうしたらもっとできるようになるで!」
といった会話はそんな簡単にはできませんよね。
最初の会話の例は、2人が"競争”している例です。
しかし、競争という事は、どちらかが勝って、どちらかが負けてしまいます。
また、それがトーナメントとなると、負ける人間が圧倒的に多くなってしまいます。
それって健全なのでしょうか?
元々勝ち負けがあるスポーツとかそういったものであればそれは仕方ない事かもしれません。
また、"負け=不幸せ”というのも、必ずしもそういうわけではないと思います。
しかし、競争することによって、全員が幸せになれない場面があることは確かです。
例えば、会社の中で営業成績で順位をつけ、その順位によって給料が決まると言われたとします。
そうすればみんな上位を目指そうと営業をすると思います。
しかし、どうしても成績がでない、でも給料ももらわないと家族もいるのに、、、
そういった場合、どういう行動をとると思いますか?
そうです、自分の順位を上げたければ他人を蹴落とせばいいのです。
また、一人一人の営業成績が相対評価によって評価されるため、この会社の社員同士に協働関係はありません。
これでは生産性も上がりませんし、何より会社内の人間関係が悪くなってしまいます。
そうではなく、到達度毎に給料が変動するといった絶対評価で個人を評価したとします。
そうすると、他人を蹴落とす必要はなくなりますよね。
他人と競わせることよりも、個人を評価してあげる方が生産性は上がると思います。
しかし、これではまだ協働関係は成立しません。
では、どうすればいいのでしょうか?
それは、個人レベルではなく集団レベルで評価すればいいんです。
具体的に言えば、個人の成績ではなく、集団としてどれだけ利益を上げたか?を評価します。
すると、従業員同士は競うことなく、むしろ協働し合って働くのではないかと思います。
こうなった時の給料のことはちょっと思いつきませんが、、、
社員同士でアンケートをとるとかかな?
それじゃあまた俺に票を入れろとかなるもんな、、、
まぁ、それは置いといて、、、
競争と協働の一番の違いは、「目標とするものが全員達成できるかどうか」だそうです。できるなら協働、できなければ競争です(純pedia参照)
私は今まで野球をやってきたせいか、競争することが普通の中で生きてきました。
あいつよりホームランを打った、あいつより足が速いなど、、、
でも、野球こそチームスポーツなので、協働していればよかったなぁと思います。
確かにホームランはいっぱい打てるかもしれないけど守備はほかの人の方が旨い事もあるし。
一人一人の個性がもっと引き出されて、チームとして活動すればもっと強くなれたのかなぁと思います。
学校教育の中でも、競争関係より協働関係の方がいいと私は思います。
全員が協力しろというのは、人には相性というものがありますから難しいかなとは思いますが、そうではなかったとしても競い合うよりは協力し合う方がいいかなと思います。
法律とか高校受験、大学受験というものがあるので評価することは仕方ないかもしれませんが、少なくとも同じ学校の中で「みんなは受験生同士だからライバルだ!」という必要はないと思うんですよね。
学校行事も合唱コンクールとか体育祭は競争があった方が面白いかなぁと思ったりもしますが、クラスごとに平均をつけて「このクラスは平均点が一番低い」といった評価をしてしまうと、そこでまたクラス毎に競争関係ができてしまうので「んー」と思ってしまいます。
かといって競争がすべて悪いと言っているわけではなく、競争の方が適した場面も世の中にはあると思います。
こうやって記事を書いている私は結構、「俺の方が」といった言葉を使ってしまいます。
そうじゃなくて、「俺たちは」っていうように自分を含めた集団を自己評価するか、相手の言う事に対して素直に尊敬できるような心が持てれば、自分の成長につなげることが出来るかなと思いました。