それは誰の視点なのか?

人の誕生日プレゼントを考える時、どうやって考えますか?

 

「自分ならこれをもらったら嬉しい」

 

そうやって考えてしまっていませんか?

 

「自分なら」それは嬉しいかもしれませんが、相手の立場になってみるとそれはもらっても使わないものかもしれません。

 

ある研究によると、相手の立場になって考えることは1歳半で69%ができるそうですが、大人になってもそれをすることって難しいですよね。

 

「自分だったら」と考えた方が、それをもらった時の喜びがイメージしやすいのは当然のことです。

 

しかし、その自分の視点から外に飛び出して、相手の視点に立つことは、誰かと協力関係を築くことに非常に重要な事です。

 

 

 

先日、大学院の何人かで論文検討会をしたのですが、その中で”ケアリング”について話をしている現職さんのお話を思い出しました。

 

ケアリングとは、日本看護協会によれば

 

①対象者との相互的な関係性、関わり合い

 

②対象者の尊厳を守り大切にしようとする看護職の理想・理念・倫理的態度

 

③気づかいや配慮、が看護職の援助行動に示され、対象者に伝わり、それが対象者にとって何らかの意味(安らかさ、癒し、内省の促し、成長発達、危険の回避、健康状態の改善等)を持つという意味合いを含む。また、ケアされる人とケアする人の双方の人間的成長をもたらすことが強調されている用語である。

 

とされています。

 

「相互的な」とか「対象者」という言葉が多く出てきます。

 

教育の中で「相手はそれを望んでいるのか?」というものが欠落している場面が多く見受けられる気がします。

 

「あの子はこうだからこうした方がいい」「この場合はああだからああした方がいい」

 

こうした方がいいと思っている主体は教員であり、そこに子どもの意見は入っていません。

 

むしろそう考えているのは、教師が指導しやすくなるからと考えている方もいるのではないでしょうか?

 

「相手の立場になってかんがえなさい!」とけんかの仲裁に入っている先生も見ますが、その人がこれが出来なければ説得力も何もありません。

 

 

かといって自分がこれができているわけではありません。

 

まずは「自分なら」という自分の視点の外に出てみるところから始めてみようと思います。