人格の完成とは?

 

私が中学校ではなく高校を志望している理由の一つとして、道徳を授業ですることにしっくりきていないからというものがあります。

 

道徳ってそもそも授業ではなくて、教育活動全体でするものやし、そもそも子どもの道徳性を評価するなんてこと自分がするなんておこがましいにもほどがあると思っています。

 

まぁ、数値での評価じゃないだけましですが。

 

教育基本法の第一条で、教育の目標は「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とされています。

 

人格の完成ってつまり道徳的な事ですよね。

 

教育活動全体でそれを育むことは法律でも示されています。

 

それを授業でやるなんて、、、

 

そう思ってました。

 

 

 

この話をゼミ生にしたら、そのゼミ生は

 

「自分の道徳心って、意外と振り返る機会がないよね。だから、教科として道徳を設けることで、一回立ち止まって自分の道徳心を考え直す機会になるんじゃないかな」

 

と言っていました。

 

この考えには納得しました。

 

小学校の指導要領に、道徳の時間が”要”と書いてあるのも、この考えなら納得することができます。

 

 

 

しかし、道徳の時間が要であったとしても、各教科を含めた教育活動は、生徒の人格の完成に向かって進んでいるでしょうか?

 

その方法としてはやはり人との対話が不可欠だと思います。

 

『学び合い』はもちろんですが、たくさんの先生方が実践されているバズ学習とかディベートとか、いわゆる主体的・対話的で深い学びがそれに当てはまると思います。

 

何を学ぶかどいうところではなく、どのように学ぶかといったまさに新学習指導要領で言われているところです。

 

 

 

学歴社会の崩壊が著しい今日では、もはや知識獲得型の授業は時代遅れと言っても過言ではありません。

 

人格の完成に関しては様々な解釈があると思いますが、社会で生き抜く力を身に付けること、もっと端的に言えば”大人になること”がそれにあたると私は考えています。

 

大人になるといっても非常に抽象的ではあると思いますが、少なくとも因数分解ができるようになったり、炎色反応を覚えたりすることではないと思います。

 

それよりも大切なのは、人間社会の中で生きていく力を身に付いけること、つまりコミュニケーション能力をつけることだと思います。

 

 

 

そのコミュニケーション能力って何?と思う方もいるはずです。

 

コミュニケーション能力といっても色々ありますよね。

 

社会で生き抜くためのコミュニケーション能力とはなんなんやろか、、、

 

そうや、社会で生き抜くために必要なコミュニケーション能力は、社会に聞けばいいんや!

 

そう考えたゼミ生の一人が、社会が求めているコミュニケーション能力と、学校が言うコミュニケーション能力の違いを研究しています。

 

たくさんの企業の方のところに毎日飛び回ってはインタビューしているみたいです。

 

結果、たのしみやなぁ~

 

そのゼミ生の記事を載せておきます

 

勝手に載せてごめんね。(笑)

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