『学び合い』について、改めてちょっとだけ考えてみました。
きっかけは、前回の全体ゼミで、「『学び合い』は方法じゃなくて考え方ってよく言うけど、でも最近はそれが広まり過ぎな気がする、、、。まずは基本的な方法をしないとやんな」ってゼミ生の言葉でした。
『学び合い』というのは
”学校観”
学校は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場である
”子ども観”
子どもたちは有能である
という2つの考え方からなる授業のことを言います。
詳しくは『資質・能力を最大限に引き出す!『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編』をお読みください。
昨日、『学び合い』の経験者の方と飲みに行かせていただいたのですが、その方も「初心者に『学び合い』の考えを伝えたところで分からない。考え方は、基本のテクニックを実践し、続けることでだんだんと分かってくるもの」とおっしゃっていました。
『学び合い』って西川先生の本の通りやると大体はうまくいきます。
でも、それをすっ飛ばして「『学び合い』って考え方だよね。考え方ができていれば何をしても『学び合い』なんだよね」と言って実践すると失敗します。
『学び合い』って方法ではなく考え方やけど、方法でもあると思うんです。
この辺自分でもちょっとうまいこと言えないんですけど、、、
今まで『学び合い』に限らず、たくさんの実践の本を読んだり実践を実際に見たりしてきました。
それは絶対に『学び合い』の方法とは違うんやけど、「あ、これって『学び合い』やん」って思う事って結構あるんです。
形は『学び合い』と違うんやけれど、子どもを信じ、任せている。それってまるまる『学び合い』の子ども観なんです。
そこで「あれって『学び合い』やんな?」って誰かに言うと「西川先生に洗脳されてるぞ、、、」って言われることがあるんですよね。んー、そうじゃないんやけど、、、。
子どもたちを信じることって『学び合い』の考え方なんやけど、教育の中で当たり前の話やと思うんです。
だから最近は、『学び合い』は方法ではなく考え方っていうのに違和感を感じているんだと思います。
そもそも『学び合い』って名前がついているのが良くないんか?
まぁその辺はもうちょっと考えるとして、自分の中でしっくり来てるのは、『学び合い』っていうのは方法で、今『学び合い』の考え方と言われているんのは別の名前があった方が誤解が減るんじゃないか?って考えてます。
まぁ、考え方に名前が付くって時点でカルトチックになってしまうのかもしれませんが、、、
奥が深いです、、、