明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

先生として信頼されるとは

 新約聖書に「与えよ、さらば与えられん」という言葉があります。この言葉は新約聖書の言葉ですが、大学院に来て最も大事だと感じたことの一つです。最近読んでいる『フリーエージェントの社会の到来』という書籍の中でも「与えた者が得る」という事を書いてありました。

 

 これらのことは、人との信頼関係に関係してきます。要するに、相手を信頼することが相手に信頼される一番の近道だという事です。

 

 また、信頼というのも様々な種類の信頼があると思います。人としての信頼もあれば、人としては苦手でも仕事は必ずしてくれるという信頼もあります。これらの信頼を得たいなら、まずは自分から信頼することが必要です。そうやって信頼は、与えた者が与えられます。

 

 そういえば、アドラー心理学の中でも、無条件に相手を信頼することが必要であることは述べられていたような、、、

 

 逆に、この信頼を裏切るという事は、その人が持っているネットワークから追放されるという事になります。裏切りは瞬く間に広がっていきます。その情報は相手のネットワーク全体に流れていきます。

 

 これからの仕事は、いかに人とつながれるかが勝負のカギになっていきます。なんせ人生で2,3回は倒産を経験する社会になってきているのですから。そうなった時に助けてくれるのはつながっている仲間です。

 

 信頼関係を結びたければ、、、という事を書いてきましたが、学校の中の「先生ー生徒」の信頼関係については少し難しいところだなと思います。

 

 確かに先生と生徒が信頼関係で結ばれていることは大切だと思います。しかし、ある生徒との強い信頼関係は、他の生徒からどのように見られているのでしょうか?中には「先生はあの子がお気に入りだから」と感じてしまう子どももいると思います。私自身、あまりお気に入りをする先生が好きではありません。

 

 では、どうすれば良いのでしょうか?1つは個人レベルではなく集団として子どもを信頼するという事です。

 

 しかし、最初にも書きましたが、信頼すると言っても様々な種類があると思います。先生としての信頼って何なのでしょうか?