明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

せっせと働いたアリは遊ぶ時間があったのだろうか?

割振りがまだ余っていたので、今日も90分早く退勤しました。

 

 

1学年の先生がみんな割振りがあり、「今日割振り使うチャンスや!」とこぞって早く帰ったので、今日は後ろめたさもなく帰ることができました。

 

 

「今日みたいにみなさん帰られるときは帰りやすいんですけど、普段は権利とはいえちょっと後ろめたさありますよね、、、」

 

 

と話をすると「権利なんやからどんどん使ってエエんやで!」と先輩先生が。

 

 

その一言でどれだけ救われるか、、、いい職場に感謝。

 

 

 

さてさて、早く帰っていつも来年度の採用試験に向けて高校数学の勉強をしているのですが、今日はこの本を読んでいました。

 

 


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「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール https://amzn.asia/d/ih1tTqS

 

 

みなさん、アリとキリギリスの話はご存じですか?

 

 

働き者のアリは毎日せっせと働いているのに、キリギリスは遊び呆けている。

 

 

その結果、キリギリスは飢え死にしてしまいます。

 

 

アリはせっせと働いたお陰で生き延びることができたのですが

 

 

果たしてこのアリはいつキリギリスのように遊んで、幸せな時間を過ごしたのでしょうか?

 

 

現代人はこのアリと同じようなことをしている方がたくさんいらっしゃるようで

 

将来のために仕事をする、将来のためにお金をためる

 

将来のために蓄えを作ることは大切かもしれませんが、それが行きすぎるとその将来のために今という時間を犠牲にしてしまいます。

 

 

老後の資金集めのために、NISAをしたり投資をしたりしている方もたくさんいますが

 

資金が増えても老後は体も動かなくなってできることが限られてきてしまいます。

 

 

死ぬ直前に病院のベッドで横たわっていることを想像して下さい。

 

 

その時に自分がもっているべきなのは多額の貯金なのか、たくさんの思い出なのか、

 

果たしてどちらなのでしょうか?

 

 

本書には

 

 

「今しかできないことのために惜しみ無く金を使え」

「人生で一番大切なのは、思い出を作ることだ」

 

 

と書いています。

 

 

もちろん、老後の資金も大切やし、そのために今を少し我慢することも大切かもしれませんが

 

「将来のために!」と思い込みすぎて、今を犠牲にすることはしないように、その辺りのバランスは考えていきたいですね。

 

 

老後でなくとも、結婚式、出産などの目標を決めてお金をためる、仕事をするのはいいかもしれませんが

 

大体の仕事は年々給与も上がっていきます。

 

 

「将来のために!」という資金集めは、もう少し収入が増えてからでも遅くはないと思います。

 

 

 

とはいえ、アリは働きすぎですがキリギリスも遊びすぎ。

 

 

今と将来のバランスを考えながら、時間もお金も使うようにしていきたいですね。

権利とはいえ早く帰ることに後ろめたさは残る学校現場

今日は、割振りという制度を使って早めに上がりました。

 

 

今月のはじめに生徒指導で遅くまで残ることがあったのですが、その残った日の勤務時間を延長して、その分別の日の勤務時間を短縮することができる制度です。

 

 

今の勤務校は、この制度が使えるだけホワイトだと言えるんじゃないかなと考えています。

 

 

いい職場、いい管理職に感謝。

 

 

それでも、やっぱり早く帰ることに少し申し訳なさがあることは言うまでもありません。

 

 

残ってお仕事をされている先生がいらっしゃるのにペーペーの僕がこんな早く帰っていいのだろうか、、、

 

という感情が込み上げてきます。

 

 

与えられている権利なんやから堂々と使ったらいいとも思うのですが、なかなか、、、ね。

 

 

世の中では、特に学校現場では働き方改革が叫ばれはじめてもう短くありませんが

 

一番の改革は仕事を減らすことではなく、帰れるときに早く帰ることだと思っています。

 

 

もっと言えば、早く帰る雰囲気を作ることだと思います。

 

 

そのためにも、まずは早く帰れる人が率先して帰ることが大事。

 

 

できれば仲間を増やしながら。

 

 

そういえば、姉は毎日定時になった瞬間鞄もって帰るって言うてたっけ。

 

 

いいなぁ、学校現場もそんな職場になれば、もっと志望者増えるのになぁ。

要らない選択はできるだけ減らす

昨年まで、体育教師だったためジャージで通勤していました。

 

 

今年は数学教員なのでスーツでの通勤です。

 

 

ジャージ、楽やなぁと去年まで思っていましたが

 

今となってはスーツの方が楽な気がします。

 

 

朝、服を選ばなくていいと言う手間が省けるのはだいぶ大きいです。

 

 

人間は、選択や判断をするだけで脳が疲れるというのは有名ですが 

 

効率よく生きる人は前の日から次の日の服を決めていたり

 

同じスーツをなん着かもっていてそれを毎日着たりするそう。

 

 

確かに、何でも決めるのってめんどくさいですよね。

 

 

休みの日は何をして時間を潰そう

 

今日の夜ごはんは何にしよう

 

自販機で何を買おう

 

 

でも、誰かが決めてくれると結構楽やったりする。

 

 

効率よく生きるため、大切な選択を間違えないためにも

 

普段削れる選択は削っていきたいですね。

 


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大切なのはその子から滲み出る人間性

3年生の就職の合否が出始めています。

 

 

一度、僕の経験のために面接練習を見学させていただいたことがあるのですが

 

見学に行った先で無理やり面接官役をさせられました。

 

 

それはそれでいい経験でしたが、面接練習をしている生徒と同じぐらい僕も緊張しました。

 

 

その時に面接練習をしていた生徒はみんな僕とは初対面だったのですが

 

そのうちの1人の生徒が「先生、合格しました!」と報告に来てくれました。

 

 

1度しか相手をしていませんし、面識もほとんど無い中でもそうやって報告に来てくれるのは嬉しかったです。

 

 

それとともに、こういった子が合格するんだろうなと感じました。

 

 

面接をする上で色んな技術とか抜群の回答とかもあるとは思うのですが

 

きっと大切なのはその子から滲み出る人間性

 

 

それは急に出るものじゃなくて、毎日の積み重ねによって育まれるものだと思います。

 

 

面接練習をしてくれた先生に対しての感謝を行動にうつしてありがとうと伝えられるか

 

雑用を率先してくれる先輩に対しての感謝を行動にうつして「かわります!」と言うことはできるか

 

そんなことが僕がみている生徒にもできるようになってほしいです。

中学と高校の文化の違いに戸惑いながら

昨年1年間、中学校教員を経験して、今年は念願の高校教員として働いています。

 

 

同じ教員といっても中学と高校では文化が全然違うのでビックリすることも多々あります。

 

 

先日の放課後、同じく中学校出身の先生とそんな話で盛り上がりました。

 

 

なんか、共感してくれる人が近くにいるって嬉しいですよね。

 

 

中学校の職員室では、「クラスなんて関係ない、全員でがんばろうぜ!」みたいな文化がありました。

 

 

生徒指導に関しても、指導というよりは「支援」という表現の方が合ってるなぁと感じます。

 

 

一方高校では、自分から情報を取りに行かないとどんどん取り残されてしまいます。

 

 

生徒に対しても、高校生はまさに「指導」で、生徒から求められたら答えるけどそうじゃなかったら放任って感じです。

 

 

どっちが正解とか不正解とかそんなんはないと思いますが、その文化の違いに戸惑うことも少くありませんでした。

 

 

僕としてはやっぱり高校の文化の方が合ってるなぁと感じます。

 

 

行事ですら、僕らがやるのは最低限失敗しないためのサポートであって、どんなものにするのかは生徒に任せています。

 

 

そうやって、自分たちで動けるようになって、自分達の力で色々やりとげて、彼らは大人になっていくんだと考えています。

 

 

もちろん、中学校の文化にも共感するところは多いですが、働いていて実際に「ちょっと過保護よなぁ、、、」と思うこともありました。

 

 

というのも、両方経験したからこそわかる僕の強みだと思います。

 

 

それぞれ文化的なところは違いますが、それぞれのいいところを活かして教育をしていけたらなぁと思います。

仕事がいつまでもできてしまう職場に対する違和感

今日予定されていた練習試合が雨で中止になり、ちゃんとした3連休を迎えました。

 

 

今週は月曜日、金曜日が祝日で曜日感覚がめちゃくちゃでした。

 

 

火、金が燃えるごみの日やのに昨日燃えるごみを出しにいってしまう始末。

 

 

持ち出したもののゴミステーションにごみが一切なく、泣く泣く家におきに帰りました。

 

 

連休のお陰で今週は3日間しかなかったとはいえ、なぜか今週は疲れました。

 

 

苦手な生徒指導をはじめ、来週行われるダンス発表会の準備、学年の会議など

 

重ための仕事が多かったなぁ今週は。

 

 

でも、やっぱり仕事としては楽しいんですよね、教員って。

 

 

やっぱりエネルギー溢れる高校生と関わって仕事ができるってだけで楽しいし

 

僕の人間性というか、性格というか、

 

人と一緒にいることが好きな僕にとってぴったりな職業だと思っています。

 

 

学級経営にしても、授業にしても、部活にしても

 

彼らと楽しく話をしながら、

 

彼らの成長の姿を日々目撃しながら

 

ワクワクできるこの仕事が僕は好きです。

 

 

それでも、働き方というところにおいては満足していない部分が多くて

 

部活動という制度がありながら定時で帰るというのがそもそも無理があるし

 

定時を過ぎてもなんの違和感もなく残業している方が多いこの文化にも違和感が拭いきれません。

 

 

かといって、残って仕事をしている先生方の仕事の効率が悪いとかそういうことも一切なく

 

いつまでも残って仕事ができるっていうこの空気があかんのやろうなぁと思います。

 

 

そもそも仕事をするってのはお金を稼ぐことであったり、人生を充実させるためにあるのであって

 

そのためにプライベートを犠牲にしていい訳はないと思います。

 

 

かといって、この文化が急によくなるとも思えず。

 

 

もやもやした日々がまだまだ続きそうです。

僕に足りない嫌われる勇気

ちょっとずつですが、彼らに言わなければいけないことが言えるようになってきました。

 

 

教室での雰囲気、部活での雰囲気、先輩に対しての気遣いなど

 

もちろん今までも言ってきたのですが、どこか自分が嫌われないような表現で言ってきた感じがあります。

 

 

でも、それってただの逃げであって、彼らのための言葉ではなかったんだなぁと感じています。

 

 

最近、少しずつ言うようになって(かといって怒っているわけではありませんが)、別に言ったからといって彼らに嫌われるわけでもないことがわかりました。

 

 

その1回の指導が問題なんじゃなくて、普段どうやって彼らに接しているかとか、自分が何をしたときに怒るかを明確にしているとか

 

そういったことの方が大事です。

 

 

それらができているのであれば、自分の思いがこもってれば彼らにも言葉は届くしわかってくれるはず。

 

 

『嫌われる勇気』という書籍もありますが、僕にはまだまだそれが足りていないのかなぁと、最近感じます。