明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

太りまくった年末年始

年始は毎年、1日は実家で朝ご飯を食べ、夕方に母方の実家へ行き、2日に父方のいとこが僕の実家に来ます。


今年も例年と変わらない年始でした。


生田神社でおみくじを引きましたが、結果は末吉、みんなでやったマリオパーティーも2位と、なんとも微妙なスタートダッシュです。


ただ、ひとつ違ったのは今年は入籍の報告を真跡にしたことです。


色んな人におめでとうとか、ついにたかしも結婚かぁとか、いろんなことをかけられながらお祝いをして頂きました。


コロナ禍で結婚式はまだまだですが、それでもいろんな人が結婚をよろこんでくれました。


もちろん、結婚できることは幸せですが、こうしてよろこんでくれる人がいっぱいいるのも幸せだなぁと思いました。



さて、明日は大雪の上越に戻ります。


食って飲んでした年末年始で太りまくったので、上越に帰ったらまた筋トレ始めないと、、、

今年も僕らしく

あけましておめでとうございます。


2022年も、よろしくお願いいたします。



年始めには、今年の抱負を述べることが多いのではないかなと思うのですが、あれってなかなか難しいですよね。


張り切って抱負を述べても、年末に「そう言えば、何言うてたっけ?」と言っていることもあるのではないでしょうか?


少なくとも僕はそうです。




とにかく僕はまず目の前の目標として、教員として4月まで乗りきることが一番の目標です。


また、自分ができることを少しずつチャレンジしていく、幸せなるために日々ベストを尽くして生きていくというところが大事なのではないかなと思います。



今年も僕らしく、目の前のことに一生懸命取り組んでいこうと思います。

2021年もありがとうございました。

2021年が終わりますね。


神戸でも珍しく雪が降っています。


新潟の雪とはまったく違うものですが。




今年も充実の1年を過ごすことができました。


今年は教員になりましたが、1年を通して自分のベストをつくし続けることができたと言えると思います。


来年はまた環境が変わりますが、変わらずベストをつくし続けられたらなと思います。



今年1年間、ありがとうございました。


また、これからも変わらず読んでいただければ、またコメント等でアドバイス頂けると幸いです。


来年もよろしくお願いいたします。

残る側の寂しさ

来年神戸に帰ってくる訳ですが、別に実家に戻るわけではありません。


実家暮らしをしている姉ももうすぐ引っ越しするそうです。



高校で寮暮らしをするために僕が実家をはなれ、つぎに体調が優れない祖父が実家を離れ、姉は何度か家を出たことはありますが次は本格的に出ることになりそう。


小さい頃から6人で暮らしていた実家がもうすぐ両親と祖母の3人になります。




そういった背景もあり、祖母がちょっと寂しそう。


口数が以前より増えた気がします。


僕は家を出ていく側ですが、残る人はやはり寂しいのかなぁと、祖母との会話で感じます。



実家ではないとはいえ、すぐに行ける距離にアパートも取ったので、時間があるときには実家に顔出そうかな。

お互いの家族の関係は僕らが取り持つべき

恋人とはよくお互いの家族の話をします。



兄弟がどうだとか、父がどうだとか母がどうだとか。



僕の家族もまぁまぁユニーク家族なんですが、恋人の家族も面白い人ばかりでいつもネタは尽きません。



そうやってお互いに家族の話ができるのはいいことだなと感じています。



自分の家族の事を誇りに思えてるということだと思うので。





また、僕も恋人も、相手のご両親とは仲良くさせていただいています。



僕が相手の家に行けば永遠とビールやら日本酒やらワインやらが出てくるし、恋人が僕の実家にくれば母がカフェとかミュージカルとかいろんな所に連れまわします。



僕の母は友達が増えたような感覚で楽しいんかなぁと見ていて思います。






そうやって、自分の家族や相手の家族と仲良くさせて頂けていることは幸せな事だなと思います。



今後入籍して神戸に一緒に引っ越してとなると、お互いの両親の援助は必ず必要になります。



金銭的な援助、子どもができたとしたら面倒を見てもらわないといけないかもしれないし、精神的な援助も必要になってくるかもしれません。



そういった時に、お互いの家族との関係を作っていなければ必ず苦労すると思います。





そしてもうひとつ大事なのは、お互いの両親同士の関係についてです。



そこの関係が崩れてしまうと、一気にバランスが崩れてしまう気がします。



「相手の両親の所に娘を渡すわけにはいかない」



まぁきっとそこまで思われることはそうそうないと思いますが、少なくとも何かしら苦労すると思います。



だからこそ僕らは、お互いのご両親に対して丁寧に接する必要がありますし、ご両親の関係を上手く取り持つ必要があります。






さて、僕もどこかで恋人と籍を入れるのですが、それに伴って両家の食事会というのがあります。



僕と相手、恋人と僕の両親は何回もお会いしてますが、お互いの両親はここで会うのが初めてです。



着ていく服とか話す内容とかなんやかんやの流れとか



いろいろ不安が募ってきます、、、。

全身で四季を楽しめる新潟県生活も残り3ヶ月

今日、今年最後の勤務を終えてきました。

 

 

とりあえず2学期を乗り越え、ほっとしています。

 

 

3学期はいきなりスキー授業や1学期の剣道の続きなど、山場から入ります。

 

 

そんな来たる寅年2022年に向けて年末年始はしっかりとエネルギーをチャージしようと思います。

 

 

 

 

オミクロン株が出てきましたがいますが、来年に入籍を控え、最後の独身での年末年始になりますので、親戚にその報告も兼ねて帰省しています。

 

 

今は絶賛その道中、左側に琵琶湖が見えますので滋賀にいるんですかね。

 

 

大雪でサンダーバードが一度停車し、「速度90キロ以下で進行します」とアナウンスが流れました。

 

 

滋賀もすごい雪なんやなぁと思っていたのもつかの間、今あたりを見渡せば雪は皆無。

 

 

新潟にいたときの雪はどこに行ったのか。

 

 

ほんまに違う国みたい。

 

 

 

 

来年度からは神戸に帰るため、新潟がどれだけ豪雪に見舞われようときっと神戸は1ミリも積雪しないんだと思います。

 

 

雪がある生活に不便さを感じながらも、新潟のように自然が豊かな所は四季を五感で感じることができていたなぁと思います。

 

 

春には咲き誇る桜と山菜の天ぷら、夏前には田んぼに水が張られて幻想的な風景が広がります。

 

このころからカエルが鳴き始めます。そういえば神戸でカエルもあんまり見かけへんかったなぁ。

 

夏には田んぼの青い稲が育ち、日本三大花火と呼ばれる長岡花火をはじめ、多くの花火が見られます。

 

秋には山が赤く色づき、田んぼの穂も黄金色に輝きます。

 

冬になれば雪であたり一面が白銀の世界に。

 

 

 

新潟では豊かな自然のおかげで四季を全身で楽しむことができました。

 

 

 

神戸でも百貨店や街のイルミネーションなどで四季を楽しむことができますが、どうしても人工的なものがおおくなります。

 

それはそれで僕は好きなのですが、新潟のように豊かな自然を感じられるのもあと3ヶ月しかないので、残りの新潟県生活も全身で自然を満喫しようと思います。

 

 

 

それにしてもスキーなんて小学校のスキー授業と高校の修学旅行でちょこっとしかやったことない。

 

全身で四季を楽しむといったばかりですが、自然を満喫できてもスキー授業は雪国出身でない僕にとっては憂鬱です、、、。

提案し、理由を語ることで初めて選択できるようになる

先日、「先生だって完璧じゃない」という記事を書きました。



もちろん、僕も完璧じゃありません。



ごはんもすぐこぼすし、部屋の片付けとか苦手やし、できないことだってたくさんあります。



そんな僕が子どもに「キレイにごはん食べなさい」なんて指導すれば、ブーメラン刺さりまくりですよね。






僕は教育現場で「~しなさい」と言ったことがありません。



もしかしたら言ったことあるかもしれませんが、多分言ったことはありません。



できるだけ生徒に向かって上からの目線でものを言わないようにしています。



心がけている言い方は、「~した方がいいと思うで」って感じで提案する言い方です。






もちろん挨拶であったり敬語であったり、世の中でできなければいけないことはたくさんあり、それができていないのならば彼らに指導する必要があると思います。



ただ、上からの圧力で彼らに聞かせた所で、「なぜ」それをしなければいけないかを理解しなければ日常生活に繋がる指導になりません。



彼らに「させる」のではなく、自ら「する」ことを選択しなければいけないのです。



だから僕らは彼らに意味を語り、提案する事によって彼らが自らその行動をするように仕向けないといけません。




先日剣道の授業の最初の授業で


「剣道とかスポーツって、礼に始まり礼に終わるって言われてるけど、なんで挨拶ってしなあかんのやとおもう?法律とか校則で決まってる訳じゃないのに、何でやと思う?」


と聞いてみました。



すると、全員が


「分からない」


と答えました。




これを答えられるようにならないといけないのだと思います。



なぜ挨拶をするのか、なぜ敬語を使うのか、なぜ靴を揃えるのか?



彼らはこれらの意味を理解してやっと、その行動をするか、しないかの選択をします。



もちろん、そこでどちらの選択をするのかは彼ら次第です。



馬を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできません。



これと一緒で、彼らに提案することはできても、させることはできません。





僕らは、彼らがこの水を飲むか、飲まないかの選択ができる所までは連れて行かなければ行けません。



そのために、上からにならず、偉そうにならず、彼らに意味を語り、提案し続けます。