教員採用試験の勉強をしているのですが、残念ながら僕はそんなずーーーーっと勉強し続けられるほど集中力が続く人間ではありません。人間の集中力の限界は〇分といろんなところで言われていますが、つまりそもそも人間の集中力なんて大したことないんだよって言う事ですよね。
だから、採用試験の勉強ももちろんしますが、気分転換とか休憩とかいう感じで本を読んでいます。
「何を読もうかな・・・」とぼーっと自分の部屋の本棚を見ていると、この本が目に飛び込んできました。
目に飛び込んできたとは言ったものの、なぜ今この本が気になったのかはよくわかっていません。でも、なんとなく教員になった今だからこそ読んどいた方がいいんだろうなという直感がありましたので、改めて読んでみました。
新任とはいえ、僕は現場で大きく2つのことを経営しています(しているつもりです)。
1つは体育科の授業。教育補助員の先生がいらっしゃるとはいえ、体育の教員は学校に僕しかいないので、もちろん体育主任です。体育の教育をつかさどっています。
2つ目は野球部。野球部は顧問が2人、外部コーチが1人と3人で運営しているのですが、僕が主顧問としてやらせていただいています。まぁ、こちらに関してはこれからどんどん部活動が外部に移行しているであろう(と信じている)という事なので、そうなった際に重要な人材となる外部コーチの方をできるだけ主にして運営しています。
とはいえ、その方が平日の部活動に来られるかと言われればそうではないので、「今週は○○な練習をしてください」という方針を受けて1週間の部活動を運営しています。
さて、この2つでどういった運営をしていこうかという所なんですが、やはり『学び合い』の考え方の下で運営しています(まぁ、『学び合い』という名前は出していませんが)。だって、それが一番子どもの今や将来にとって幸せになれるんやし、しかも自分もそこそこ楽できる。要するにwin-winなんですね。
「君たちにこういう能力をつけてほしい」
「将来こういう社会になるんだよ」
「先生が一斉にみんなに教える授業で、全員にできるようにさせるという自信は申し訳ないんですがないです。でも、みんなで協力したら全員出来るようになる可能性はあるよね?」
「練習も試合も自分たちで考えて行動した方が、絶対将来のためになるし、自分で考えてプレーできるチームの方が強いよね?」
そんな話をしながらできるだけ子どもたちに課題を解決してもらえるような授業をしています。
先ほど紹介した本は、なぜこんな事をするべきなのかというところが書いてあり、僕にとっては改めて自分がやっていることに自信を持つことができる本でした。
今と照らし合わせて一番気になっているのは、特別支援学級に通っている子の存在。
多くの時間は交流学級(通常学級)で暮らすのですが、主要3教科や生活単元の時間はやはり特別支援学級で受けることになります。僕が授業をしている数学の授業なんかはマンツーマンでの授業です。
確かに、こうすることによって子どもの特性や能力に合わせた授業をすることができるのですが、それよりも気になるのは、その時間はクラスの子どもと引き離されてしまっているという事です。
この本にも書かれていましたが、特別支援の就労者を受け入れている企業の方が必要としている能力は、「漢字が書ける事」でも「計算ができる事」でもなく「人とのコミュニケーションが取れる事」です。例え苦手な事があったとしても、「その人にできる仕事をやってもらうだけです」とおっしゃっているそうです。
でも、マンツーマンで授業をするというと、その真逆の事をしてしまっているなと感じてしまいます。
「合理的な配慮」という言葉が一般化されましたが、現在の子どもにとって合理的な配慮をすべきなのか、子どもの未来にとって合理的な教育をすべきなのか。その辺りを考えさせられました。
とはいえ、まだまだ新任1年目の新米教員。そういった事を職場で偉そうに言える立場でないことも重々承知しているので、今僕が子どもの“未来の”ためにできる事を精いっぱいやります。